身の回りの雑学

女の人の心をつかむプレゼントには様々なものがありますが、とにかく、自分もプレゼントをもらうと相手が自分の彼女でなくてもうれしいものです。 しかし、とんでもないものをプレゼント出来るというのです。なんとそれは夜空に輝く星。 そんなの無理だよと誰でも考えがちですが、ちょっと待ってください、それがあるのです。ちゃんと商売にしているところが存在しているのです。 5万円を納めれば5等星以下の星に好きな人の名をつけてもらえるサービスをしているところがあるのです。インターナショナル・ステラ・レジストソー です。 星に名前をつけて好きな人に贈ることが出来るのです 名前をつけるだけで実際に手にすることができないのでがっかりした人もいらっしゃることでしょう。 しかし本物の星のかけらを手に入れる方法があるのです。東京・新宿にあるコプティック星座館では流れ星、つまり隕石を購入することができる そうです。価格は意外にてごろだそうです。アメリカのアリゾナの隕石孔から掘り出したものを売っているそうです。
人気の高い職業で今も昔も憧れられる職業であるキャビンアテンダントですが。日本でのキャビンアテンダントの登場は昭和6年のことであったそう  です。 東京航空輸送会社が初めてキャビンアテンダントを募集したそうです。応募者は300人を超えたといいます。その中から3人が採用されました。そ の方の御名前は工藤雪江(18)さん、和田正子(19)さん、本山英子(19)さんだそうです。昭和6年3月の出来ごとで、日本初のキャビンアテンダント の誕生でした。 初搭乗は4月1日のことでした。100人に1人という狭い門をくぐりぬけた3人は午前10時20分、AB1型水上機は東京の大井海岸を出発して、正午 ことには清水港真崎沖に無事に着水したのでした。 当時は、今のようなキャビンアテンダントというよびなではなくエアガールとよばれていたそうです。また、水上機に乗るとは今より近代的なような 気もします。 また、世界で最初にキャビンアテンダントを採用した航空会社はアメリカのユナイテッド航空でした。昭和5年のことでした。
男性にも女性にもよく着られて、ちょっとひっかけるのに最適なのがカーディガンですが。案外知られていないのが、なんとこのカーディガンは戦場 で負傷兵のために考案されたという事実です。 前ボタンのついた、特製のセーターを負傷兵の服の着脱を簡単に行えるように考案したのがカーディガンというイギリス軍の騎兵旅団長であった ことから彼の名前をとってカーディガンと名付けられたそうです。 また、クリミア戦争(1853~56年)の時英仏連合軍の衣料輸送船が嵐によって沈没してしまったことがあり、兵士たちは夏服のままで冬を迎え なければならなくなったそうです。 困ったイギリス軍総統のラグランは天幕を切って外套の代わりとして兵士に与えたそうです。さらには楽に着られる袖付け方をあみだしました。 これがラグラン袖の由来であるといいます。
働くビジネスマンの象徴と言えばネクタイですが、その発祥は、古代ローマ時代までさかのぼるといいます。 妻や恋人たちが出征する兵士である自分の夫や彼の首に無事を祈りながら布を巻いたのがネクタイの始まりとされています。しかし、もともとは防寒 の意味もあったといいます。 今のような装身具として使用されるようになたのは17世紀で、オーストリアのクロアット連隊の兵士がルイ14世に使えるためにやってきたときに首 に巻いていたものがフランスの貴族の間で流行し始めました。 しかし、現在のような結び下げのネクタイの形が広まったのはヨーロッパやアメリカでも20世紀になってからでした。 一方、背広ははじめは下級の宮廷使用人の服であったそうです。しかし階級社会が崩れるにつれてフォーマルな服へと変わっていきました。19世紀 には背広は男性の服装として定着しました。その背広の狭い胸合わせに合った形にネクタイも変わっていきました。 なお、日本で最初にネクタイを締めたのはジョン万次郎と言われています。ネクタイが日本に渡来したのは江戸末期のことでした。当時は「襟締(ネッキ タイ)」と言っていたそうです。すでに日本でも100年以上もの歴史があります。 現在ではネクタイはファッションの重要なポイントとなっています。嫌でも目立ってしまう場所にあるのですから当然と言えば当然ですね。
サラリーマンには背広は古女房のような存在です、一週間の大半は身につけているのですから当然ですが。以外にも知られていない”秘密”は あるものです。 例をあげれば、背広の左側にあるボタンホールなどが挙げられます。会社の社章を付けている方もいらっしゃることでしょう。しかし、実はこのボタン ホールは本来は会社のバッジをつけるための穴ではないのです。 かつては、右の襟にはボタンが付いていたそうです。ちょうど詰襟服のようにして着ることも出来たというわけです。文字通りにボタンのためのボタン ホールだったのです。 また、外国の古い写真で見かけますが、そのボタンホールにばらの花を差すことがはやった時期があったそうです。そのためフラワーホールと呼ばれ ることもあります。 話は変わりますが、背広の語源は英語のcivil colthes(市民服),のcivil=シビルが転じてセビロになったといわれています。そのほかには、ロンドン の有名な洋服商街であるSavil Row=セビル・ロウが訛ったという説や、背幅が広いので背広という説もありますがいずれも俗説であります。 こういう知識を知ると普段何気なく来ている背広に愛着が増すとは思いませんか?
夏は蒸し暑く、冬は逆に寒い、この風呂にはいらずにはいられない日本の気候が日本人の風呂好きを定着させたといわれています。そのせいで 銭湯という世界にもまれなお風呂文化を築き上げたともいえるでしょう。 一方、欧米にはシャワーの習慣があります。寝る前にシャワー、仕事終わりにシャワーなどなど。 しかし、西洋人がこんなに清潔好きになったのは近年のこと。それ以前は信じられないくらい不潔だったといいます。 例をあげれば男性の場合、下着の洗濯は3カ月に1度だけ、石鹸を全く使わない洗濯でした。これは民衆だけではありませんでした。貴族や王族 も同様で、ある貴族の婦人は、自分の夫のことを「腐った肉のように臭い」と言っています。 また、ルイ14世のベッドには愛人とともにシラミまで住み着いていたそうです。 こんな不潔な体をしていれば、他の臭いでごまかすほかはありません。香水を使用することが急速に広まっていきました。 ヨーロッパでの香水の大流行の裏にはこんなくさーい話がかくされていたのでした。
現代ではトイレと呼ぶのが最も主流ですが、トイレには色々な呼び方があります。たとえば、トイレット、WC、ラバトリー、化粧室、手洗い、御不浄、 憚り、雪隠、厠、川屋、そのほかもっと珍しいもので言えば、日本橋、高野山、金閣寺、関所、など本当に様々な呼び方があります。

江戸時代の前期くらいまではトイレは母屋とは別に設置されていてトイレは屋外に建てられていました。これは、トイレを不浄の場とする考え方が御不浄という 言葉からもわかるように古くからあったからです。

しかし、江戸の後期になると、次第に母屋の中にトイレが作られるようになっていきました。まず、武家屋敷などが作り始め、その後、町人の家へとそ の傾向は広がっていきました。

本題ですが、川が近所に流れているような場合には川の上や川辺につきだしたりしてトイレを作ることも多かったのです。もちろんトイレが屋外にあった時代の ことですが。これが川の自然の流れを利用した天然の水洗トイレとも言うべき代物であったのです。川屋はここから作られた言葉だそうです。それが 後に厠となったそうです。

ちなみに、トイレの別名の雪隠の由来はといえば、雪ちょう前禅師という僧が昔、霊隠寺で修業をしていたそうです。この僧はトイレの掃除を熱心に 行い、のちに悟りを開いたそうです。この出来ごとにちなんで雪隠とトイレを呼ぶようになったのだそうです。