「芥川賞を下さい」と哀願した作家

芥川賞は文学界にある40以上もの賞の中でその歴史的な重みで大きな権威を持っている賞です。 受賞者の社会的な評価の保障や文壇への登竜門であるという意味で他の賞を圧倒しています。 さて、第一回受賞者は石川達三でしたがこの時候補にあがたのがあの太宰治です。 太宰は当時26歳で3月に東京帝大は落第し、都新聞の入社試験は失敗し、失意のうちに鎌倉で2度目の自殺未遂、さらには盲腸炎で入院し、 おまけに鎮痛のためのバナビールの中毒になるなどどん底の生活にあえいでいたそうです。 そんな状態だったので芥川賞をもらえればこのどん底から這いあがれると思い選考委員の一人である佐藤春夫に泣きついたのです。 まず佐藤に哀願の手紙を出したそうです。その内容はというと。「私は優れた作品を書きました。これからもっともっと優れた小説を書くことが出来 ます。(略)芥川賞をもらへば、私は人の情けに泣くでせう。そして、どんな苦しみとも戦って、生きていけます。元気が出ます。(略)お伺ひしたはう がよいでせうか。何日何時に来いとおっしゃれば、大雪でも大雨でも、飛んでまゐります。」 太宰はこの手紙のとおりに佐藤宅に出向き応接間の床に頭をこすりつけて、泣きながら「芥川賞を下さい」と絶叫したといいます。 しかし、かいもなく、太宰は次点になりますが、佐藤の推挙とこの賞の権威により、これ以後作品を次々と発表し、新進作家としてかつやくしていきました。